●孤独な科学者に創られたロボット 出来栄えを言うなら『キセキ』
ごちゃごちゃとした機械類に、床を這うコード。地下に続く階段。発光パネルが一面にはめられた天井は、全体が淡く光っている。
小さな実験室の真ん中には、銀色の作業台が置かれていた。そこに、何かが横たわっていた。それは十四歳ほどの少女のように見えた。
彼女はゆっくりと目を開いた。黄色い瞳に、白衣姿のカイトの姿が映りこんでいる。
「おはよう。気分はどう?」
「異常はないです、マスター」
作業台から起き上がったリンは、無表情にそう言った。
「マスターかぁ。なんだかとっても硬い呼び方だね」
「あなたは私の創造主。自分を創った者には敬意をこめるようデータに登録されていますが」
「う~ん、間違ってはいないけど……何か違うなあ」
カイトは困ったようなほほ笑みを浮かべた。
今日は、もう何年前か分からないほど前に創り始めたアンドロイドが完成した記念すべき日。そのアンドロイドに、カイトはリンという名をつけていた。
ベッドから降りて、リンは周りを見回す。
首の動かし方や目の動きは人間そっくりだ。
「実験のための道具が並んでいますね。実験室と認識(にんしき)しました」
リンにあらかじめプログラムしておいた一般常識のデータは、どうやらちゃんと働いているようだ。
「そうだよ。ここは僕の家の実験室。僕はこの家に一人で住んでるんだ」
「一人で。マスターほどの年齢の男性は、結婚している者が多いとデータにはありますが」
淡々とした口調でリンは言った。
「う、無邪気なだけに、残酷な質問だね」
「異性に好まれる者を『モテる』好まれない者を『モテない』と表現するのでしたね。マスターはもてない方。合っていますか?」
「リンちゃん、それ以上言うとマスター泣くよ?」
冗談のつもりで言ったカイトだが、リンは表情を変えなかった。
「泣く。感情がたかぶって涙腺から涙をこぼすことですね。マスターは泣くのですか? わかりました。私は何か涙を拭く物をご用意した方がよろしいでしょうか」
(あれ……?)
ちょっとかみ合わない会話。その原因を思いついて、がっくりとカイト息を呑んだ。
(ひょっとして、冗談も、泣くってこともわからないのか……感情というか、心がないのか……?)
心、ねえ……とカイトは考え込んだ。心。科学的に、身も蓋もない言い方をしてしまえば、記憶も感情も、脳の中を駆ける電気信号にすぎない。でも、現実はそう簡単な物ではないようだ。
「まあいいさ、もうちょっと待ってみよう。ひょっとしたらまだ完全に機能が働いていないだけかも知れないし、色々な事を見聞きすれば、心もできるかも知れないしね」
とにもかくにも、一人と一体の生活は始まった。
●一度目の奇跡はキミが生まれたこと 二度目の奇跡はキミとすごした時間
リンが動き始めてから、三ヶ月がたった。とりあえず、カイトは世界の色々な物をみせようと、とにかくリンを外へ連れ出した。
「ほら、引いてるよ、リン」
午後の光を受けて、川はきらめいていた。その輝きにサングラスをかけているカイトは、リンの持つ釣竿の先を指差す。
「はい」
リンが釣り上げたのは、大きなマスだった。針から外そうと覗き込んだとき、マスがピチッと跳ねてリンの顔に張り付いた。
「きゃ!」
仰け反った拍子に、リンは尻餅をついてしまった。
「あはははは!」
助け起してあげながら、カイトは笑った。
心の無いリンには、さっきなんでカイトが笑ったのかイマイチよくわからないようで、キョトンとしていた。本当だったら、笑われたことに怒ったり、カイトにつられて笑ったり、転んだことを恥かしがったりする所なのだけれど。反応がないのが少し悲しいけれど、一緒にいてくれる人がいるのはありがたい物で。
「いやあ、リンが生まれてから笑いっぱなしだよ。今までずっと一人で研究室にこもりっ放しだったからね。話し相手もいなかったし」
そんな事を言いながら、バケツにマスを入れる。魚が泳ぐたびにウロコが輝いてきれいだった。
そういえば、よく外に出歩くようになったのもリンを起動させてからだ。
空の青さ。水のキラメキ、小鳥の歌のかわいらしさ。それがどんなにすばらしい物か、実験室にこもっている間、忘れてしまっていたなんて。
「なんとかして、キミに心をあげたいな」
カイトは少し寂しく思いながらリンの頭をくしゃくしゃとなでた。
楽しい気持ち、世界の美しさ。思い出させてくれたのはリンなのに、彼女はそれを味わうことができないなんて。
けれど、リンは無表情にこう言っただけだった。
「『ココロ』は私の理解を超えています、マスター」
●三度目はまだない 三度目はまだ……
釣り道具を一式抱えて帰り始めたことには、すっかり日が暮れかけていた。石畳の道を、買い物袋を抱えたおばさんや、晩御飯に急ぐ子供達が行きかっている。
「マスター、もう太陽の明るさは衰えてきています。なぜ、それをしているのですか?」
リンのいう『それ』はサングラスだった。
「それは強すぎる光から目を守るための物。無意味では」
「う、それは聞かないでリン」
「わかりました」
好奇心がなく、どうして、と聞かないリンに、このときばかりはカイトもほっとした。
(僕がお尋ね者だってこと、リンには知られたくないんだよなあ。まあ、そうなった事に後悔はしてないけど……)
考え事をしていたからか、カイトはむかいから来た人とぶつかってしまった。よりにもよって、刀を持った。
「どこを見ておる、無礼者!」
紫の髪を一つに結んだ男はカイトをにらみつけた。
「あ、いや、どうも、ごめんなさい!」
はずれたサングラスを直し、カイトはそそくさと男の前から立ち去った。
(あの男……)
紫の髪をした男、神威は、カイトの背中を見えなくなるまでみつめていた。
研究所についたカイトは、魚の入ったバケツをリンに渡した。
「悪いけど、これを焼いておいてくれないかな。僕は竿をかたしてくるから」
というわけで物置に竿を置いてきたカイトが、研究室の扉を開けた時だった。
なにやら、焦げ臭い。充満しているというほどではないが、確かに煙が漂っている。
「何やってるんだ、リーン!!」
七輪を持ちだして、リンは言われた通りにアユを焼いていた。研究所の中で。
「だめだよ、リン。ここには精密な機械がいっぱいあるんだから!」
小さな灰の欠けらでも中に入ったら、コンピューターが壊れてしまう。
「ああ、大丈夫かなあ、あれ!」
慌てたようすで七輪を外に運び出し、カイトは前にリンが目を覚ました部屋へ飛び込んだ。床についた地下に続く通路の扉を開け、細い階段を下っていく。
そこには卓状型のコンピューターがあった。コントロールパネルのある台と直角に、小型のディスプレイが取り付けられている。
カイトはしゃがみこみ、台の足元にあるパネルを開けた。慣れた手つきで、コンピューターのチェックをする。
後でコツッと小さな足音がして、リンがそばに来ているのに気付く。
「これはね、タイムマシンなんだ」
リンには心がない。だから、これがなんなのか、知りたいとは思っていない。それでも、カイトは誰かに聞いて欲しかった。
「もちろん、物体を過去や未来に送る事は難しい。でも、信号や電気なら送れる。小包みは無理でも、過去や、未来にメールぐらいなら送れるかも知れない」
カイトは、にっこりと微笑んだ。
「もしも、もう伝えられないはずの思いを、もういない人に伝えられたら……いいと思わないかい?」
リンの瞳に映る自分の微笑みが妙に寂しそうで、カイトは慌てて笑い直した。こんな顔、まだ喜びの感情も知らないリンに、見せたくはない。
「そういう物なのですか」
「もっとも、まだ試作段階だけどね。よし、どこも壊れていないようだなっと」
カイトが立ち上がった時だった。ギィン、と鈍い音がして、床に火花が弾けた。銃弾が撃ち込まれたのだ、と思い当たるより先に、階段を降りる足音。
拳銃を構えて降りて来たのは、赤い軍服を着た女性だった。背後には、道でぶつかった刀を持った男がひかえている。
「ここにいたのか、カイト博士」
拳銃を構えたまま、女は言った。
「メイコ……」
カイトは険しい表情で彼女をにらみつけた。
リンはただきょとんと二人を見つめているだけだ。
メイコはさっと周りを見回した。
「よくもまあ、ここまでの設備を一人で。大人しく国に従えばそろえてやるものを」
「それで? 僕に兵器の開発しろって?」
カイトは両手を挙げながらも、どこか強気に言った。
半分拉致されるようにして、カイトが軍関連の施設に連れて行かれたのは六年前の事だった。持ちかけられたのは、莫大な資金と自由に使える助手、化学をいじった物なら誰もが夢に見る充実じた実験施設の提供。その代わり研究のテーマは決められていた。『できる限り多くの人間を殺す事のできる兵器』
「人殺しの道具作りなんてごめんだね! 僕はそんな事の為に化学を学んだわけじゃない」
「それで六年前、軍から逃げ出したというわけか」
スキをついたとはいえ、武器ももたないカイトが逃げ出せたのは、軍の人間が手加減してくれたからだろう。国が欲しいのはカイトの知識だ。殺したり、研究ができないほどの重症を負わせてしまっては意味がない。
だから、カイトは今回もどこかで安心していた。拳銃をむけられていても、自分は殺される事はないと。
「そうか。なら仕方ない」
メイコは引き金を引いた。カイトではなく、リンにむかって。
「リン!」
撃たれた反動で、リンはのけぞった。リンはよろけ、カイト達に背をむけるようにして、タイムマシーン突っ伏した。
「ほお、こいつは驚いた。血が出ないとは。この童、人間ではないな」
神威の言葉に、メイコはチラリとリンに目を走らせた。
「アンドロイドか? 後で回収しろ。何か使える技術があるかも知れない。これで、分かってくれるかな?」
それは、脅しだった。もしも言う事を聞かないなら、お前の親しい者に危害が及ぶ、と。
「ふ、ふざけるな! 絶対に協力なんかするもんか!」
「そうか」
メイコが呟いた瞬間、カイトの左胸からパッと血しぶきが飛んだ。
「え?」
驚きの顔をしたまま、カイトは床に崩れ落ちた。
「状況が変わったのだ、カイト博士」
銃口から煙が上がる銃をおろし、淡々とメイコは言った。
「協力してくれない以上、亡命でもされたらやっかいだ。その知識が他の国に渡るよりは、殺してしまった方が問題が少ない。もとっも、親切に説明しても、もう聞こえていないかも知れないが」
コントロールパネルにつっぷしたまま、リンはその様子を肩越しに見つめていた。床に流れる、カイトの血。
人間は心臓を撃たれると死ぬ。そうデータが囁いた。
1・マスターは死んだ。
2・よって、もうマスターから何かを教わる事はできない
3・もうマスターとどこかへ出かける事はできない
4・もうマスターは笑いかけてくることはない
5・もうマスターは語りかけてくることはない
なんの脈略(みゃくらく)もなく、昼間に見た、キラキラとした河の輝きを思い出した。そして、釣り上げた魚。顔面に魚を張り付けてひっくり返った自分の姿は、どんなにおもしろかっただろう。
「あはは……くすくす……」
そして助け起こそうと手を伸ばすマスターの笑顔。
笑いと一緒に涙がこぼれ落ちる。
1・マスターは死んだ。よって――
「嫌ぁぁぁ!」
いきなりあふれだした感情に耐えきれず、リンは両手をタイムマシンに叩きつけた。
この機械を壊さなければならない。そんな考えも頭のどこかにあった。悪い人達に、博士が作った機械を渡すわけにはいかない。それは誰でもなく、リン自身からの命令。
バチバチとコントロールパネルから火花があがる。落ちた涙が、熱せられた機械に落ちて蒸発した。逆流した電流が、リンの体を貫く。
「マス、ター……」
血の代わりに、オイルの跡を残しながら、リンはズルズルとタイムマシンから滑り落ちる。そして、床に崩れ落ちた。
「完全に壊れたか。それにしてもこの大きな機械はなんであろう?」
冷ややかに神威が言った。
「そう言えば、カイトはタイムマシンを作ろうとしていたと聞いた事がある」
「タイムマシンとな!」
「そういえば、タイムパラドクスという言葉を聞いた事があるか神威」
「時間の矛盾?」
「ああ。そうだ。例えばこんな話がある。『ある男がタイムマシンで過去にさかのぼり、まだ子供の父親を殺したらどうなるか』」
「それは……子供のうちに父が死ぬのだから、その男は生まれない事になる」
「そう。父親を殺す者は消える。つまり、父親は生き続ける事になる。そのうちに息子が生まれ、父親を殺す」
「するとその子供が消え……堂々巡りだな」
「結局どうなるのかは、誰も分からない。見えない力が働いて、親を殺そうと思ってタイムマシンに乗った時に限りマシンが動かない、だとか、男が何度父親を殺そうとしても、なぜか父親は死なない、とか」
「あるいは、平行世界ができるのかも知れぬな。父親と男が両方消えた世界、両方、あるいは片方だけがうまく生きている世界……」
「何やってるんだ、リーン!!」
七輪を持ちだして、リンは言われた通りにアユを焼いていた。研究所の中で。
「だめだよ、リン。ここには精密な機械がいっぱいあるんだから!」
小さな灰の欠けらでも中に入ったら、コンピューターが壊れてしまう。
「ああ、大丈夫かなあ、あれ!」
慌てたようすで七輪を外に運び出し、カイトは前にリンが目を覚ました部屋へ飛び込んだ。床についた地下に続く通路の扉を開け、細い階段を下っていく。
そこには卓状型のコンピューターがあった。コントロールパネルのある台と直角に、小型のディスプレイが取り付けられている。
カイトはしゃがみこみ、台の足元にあるパネルを開けた。慣れた手つきで、コンピューターのチェックをする。
後でコツッと小さな足音がして、リンがそばに来ているのに気付く。
「これはね、タイムマシンなんだ」
「……」
ピロン、と小さな音がした。
「マスター。画面に『着信』と文字が出ましたが」
「ええ? おかしいな、これはまだ試作段階だし、世界にこれ一台しかないし、どこからもメールが来るはずはないんだけど。やっぱり壊れちゃったのかな」
カイトは首を傾げながら、カイトは立ち上がった。
何かに呼び寄せられるように、リンはコントロールパネルに手を伸ばした。
瞬間、コントロールパネルに細い電気の糸が絡みついた。その糸は、リンの腕にまでからみついた。
「きゃああ!」
リンは驚いて手を引っ込める。
「わ、大丈夫? リン」
「……」
じわっとリンの目に涙が浮かんだ。小さく肩が震えている。そして急に苦しいほどの力でカイトにしがみついてきた。
「リ、リン?」
「マ、マスター、博士、カイト博士!」
「何、どうしたの? 君、心が?」
いきなりの反応に、カイトはおろおろしていた。
「い、今、機械に触った時、私の、ううん、未来の私の声が、心が、記憶が、聞こえて、届いて……」
機械に触れた時、未来のリンの声が、心が、感情が流れ込んで来たとリンはカイトに語った。
「未来の私の心は、すぐに消えてしまったけど……」
リンはぐすぐすと袖で涙をふく。
「未来のリンの心が、メールで送られてきた? いや、確かに心は脳内を走る電気信号にすぎない。それなら、このタイムマシンで送る事も可能だ。けれど……」
「そうだ、こんな事をしている場合じゃないですよ博士!」
リンはカイトの手をつかんでぐいぐい引っ張った。
「ここにいたら殺されちゃいますよ! 逃げましょう!」
「え? あ、うん」
リンにつられて、カイトは走り出す。
普通ならば、とても信じられない話だ。それこそまるで奇蹟のような。
しかし、リンの心が生まれる瞬間を、その時の彼女の表情を見たカイトは、その話を信じようと思った。
リンの後について外へ飛び出したカイトは、実験施設兼住居を振り返る。はっきり言って、タイムマシンや他の発明品を置いていくのは辛かった。けれど、リンを、自分の命を犠牲にするほどの物ではないだろう。二人は今、生きているのだから。
「早く早く!」
「はいはい」
リンに促されるまま、カイトは車に乗り込んだ。エンジンが軽やかに動き出す。土ぼこりをあげ、車が走り出す。「よし、行けるとこまで行ってみようか」
カイトはアクセルを踏み込んだ。
「行っけー!」
リンはビシッと元気よく前方を指さした。
「ねえ、博士」
「ん?」
「未来の私から、伝言があるの。『ありがとう』って――」
広い道を、車はどこまでも突っ走っていった。