数日後、レノムスは父と向き合っていた。忙しい父と他人を交えないで話せるのは深夜しかなく、書斎にはロウソクが灯されていた。
「姉さんを恥辱の墓に葬るなんて……」
その声は自分でも意外に思えるほど、低く圧し殺されていた。
『魔族との姦通』
それがリティリアに与えられた罪名だった。
どんな理由があろうとも、魔族と情を交わす事は許されない。魔族と親交を持つことすら禁じられているのだ。
「仕方のないことだ」
机の向こう側に座った父の声は疲れて聞こえた。
「私だって、実の娘をあんな場所に葬りたくはない。しかし、あの二人が結婚していたことは皆知っているし、フィアドが魔族になった所もかなりの人間に見られている。何せ教会内の事だ。ごまかす事はできない」
「……」
詳しい者の意見では、フィアドがわざわざ教会の中に入りこんだのには理由があるとの事だった。獣同然となった頭の中で、フィアドはそれでもリティリアの事を覚えていたのだろうと言う。
だが、魔族と化した血は、その印象が愛なのか憎しみなのか区別しない。感情のともなわない記憶に導かれるまま、リティリアを捜し出したフィアドは、魔族の本能にしたがって目の前の生き物を惨殺した。言い換えれば、魔族になっても忘れないほど愛していたからこそ、フィアドは姉を殺さずにはいられなかったのだ。なんという皮肉だろう。
フィアドは、あれから僧兵に殺された。体中に槍を突き立てられて。
フィアドが人間として生きていて、自分がもう少し大人になったら、きっともっと仲良くなれただろう。客観的にみたら、彼は尊敬できる人だったから。でも、そんな未来はもう永遠に来ない。
「姉さんは、魔族と知らずにフィアドを愛した。いや、たぶん知っていても愛したと思いますが……それが罪だと言うのですか」
言いながら、レノムスは自分の心の、何かやわらかな部分が静かに死んでいくのを感じていた。それはたぶん、童話や教会の話が教える類(たぐい)の物だったのだろう。
姉は、何も知らずにフィアドを愛しただけだ。その報いがこれか。フィアドは女性をただ助けたかっただけだ。その報いがこれなのか。
「ハディスはどうです。あの子は好きで魔族の血を引いているわけではない。それなのに、存在自体が殺されなければならないほどの罪だと」
彼は、生きることさえ許されないというのか。
「そうだ。それが神の定めた教会の法だ」
だとしたら、僕は神を認めるわけにはいかない。もし目の前に現われたら、そいつを殺さなければ。
「ハディスが無事だったのが救いだ。リンクスに感謝しなければ。あのまま残っていたら、どうなっていたか」
そんな言葉が出るという事は、父はハディスを愛していないわけではないらしかった。「お父様」
これから、自分の人生を間違いなく変えることを言おうとしているのに、不思議なほど緊張はなかった。むしろ、こうするのが自然に思えた。
「これから、僕を殺してください」
「……どういう意味だ」
「あなたの息子であるかぎり、私は教会の中枢には入り込めない。高位の者の子は、高位に就くことはできないから」
自分は姉を見殺しにした。だから、残ったハディスだけは何があろうと守る。教会の中枢にいれば、それができるはずだ。
それに、姉は善意や努力が報われ、皆が幸せになれる世界を夢見ていた。それを実現できると思うほど、おめでたい頭はしていない。けれどわずかでも理想に近付けるかも知れない。
「私は、姉と共に殺されたとでもしてください。いや、それはだめですね。僧兵に姿を見られているし、義兄に罪を重ねさせることになってしまう。では、伝染病で死んだとでも。感染を防ぐ名目で葬儀も簡素ですむでしょうし、棺桶を開けたがる者もいないでしょう」
大司教の息子レノムスは死に、代わりに天涯孤独の修道士が生まれる。天涯孤独ならば実力次第で昇位できるだろう。
「では、会うのはこれが最後かも知れないな」
当然その修道士が下層のままなら、大司教と直接話す機会などないだろう。
「そうならないように努力します」
レノムスは頭を下げた。
大司教の子息を弔う鐘が鳴り響いたのは、二週間後のことだった。